昭和48年6月27日 夜の御理解
中村良一
お話をしておりましたところのお話、あのお話だけでも、沢山な費用をかけて、一晩泊りで、やらせて頂いたかいがあったと思うですね。私も、やったかいがあったと。今のお話を聞いて頂いただけで、あの、あ、良かった、やって良かったなと、こう思うんです。本当にこの、人が助かるというほどしの事は、大変な事であって、今も、先生が申しておりますように、祈念力で助かると言うても、含量で助かると言うても、結局は、その先生、先生の生き方によることですけれど、もう、ただただ、一途なものが、どんな場合でもあるという事ですね。人が助かるという事は。もう、それこそ、ひたすらな、一途なもの。それを、やはり、いわば、信心を命、または、命以上といったようなもの、その中途半端なものでは、人は助からん。自身も助からない。人が助かるという様なことなんか、絶対、出来ないといったような気がします。
私は、浜崎の先生は、よくあの、昔から知ってますけれども、まぁ、どちらかと言うと、まぁ、おりゃ、もう、馬賊になるち言う。いったような感じのタイプの方だったんですよ。もう、私、一遍、まぁだ、終戦直後に、青年教師会が、福岡にあった時に、ちょうど、お参りしよったら、吉木先生が、「大坪さん、青年教師の会がありよるから、あんたも入って良かろう。入って、聞いてきなさい」と言われて、あの、お話を頂いた時に、ちょうど、浜崎の先生が、もう、えらい元気の良いお話をなさっておられましたが、本当にその、どうして、そういう風に思うたか、自分でも分からない。これはもう、仕方がないのですね、親から伝わっておるものですから。どうしてほんなら、信心の毛も無かった自分が、金光様の御身を守らせてもらおうと。もう、日本は、どげなふうな時代になってくるじゃら分からん。そういう例えば、腕力ででも、守ろうといったようなものを、確かに持っておられたですね。それをもう、俺より他に、金光様守る者はおらんといった様な、そういう一途なものがね、その後の信心に、やっぱ、現れてきたんだと思う。まぁ、そうして、色々と、お話を聞かせて頂きながら、そこは、そこなりのものだけれどもです。なら、合楽で言っておる、言うならば、和賀心と言うかね、そういう信心を追求して、身に付けて、自分が助かるという事と同時に、人まで助かっていくほどしの事になるという事は、ただ、その、これならば、誰でもが合点が行くと言うだけではなくて、そういう信心にしたところでです。そういう、ひたすらな、一途なものが無からなければ、それが、燃え上がってくるようなおかげにも、助かりにもならないと思うですね。
信心の、いわゆる、おかげの機微と言うのは、もう、どんな場合であっても、燃え上がるようなものが無ければ、いわば、その、何て言うですかね。とろとろじゃ、例えば、ご飯でも出来損なうたりするように、やはりあの、本当な事にならないようです。まぁ、合楽は、どこまでも、まぁあの、ここで頂いておる御教えを元にしてですけれども。その元にしておる信心が、やはり、一途に、ひたすらな、燃えるものになってこなければいけない。そんな気がするですね。まぁ、浜崎の先生の話を聞かせて貰うて、そのお話だけでも、もう、とても、一万円、二万円の金で買えないようなものを、あの、末永さん、以下の先生達は、頂いてきたんだと思うのです。それを、こうやって、聞かせてもらう、私達までも、おかげ頂いたなと言うものを感じますね。どうぞ。